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交響曲第5番(こうきょうきょくだい5ばん)嬰ハ短調は、グスタフ・マーラーが1902年に完成した5番目の交響曲。5楽章からなる。マーラーの作曲活動の中期を代表する作品に位置づけられるとともに、作曲された時期は、ウィーン時代の「絶頂期」とも見られる期間に当たっている。 1970年代後半から起こったマーラー・ブーム以降、彼の交響曲のなかで最も人気が高い作品となっている。その理由としては、大編成の管弦楽が充実した書法で効果的に扱われ、非常に聴き映えがすること、音楽の進行が「暗→明」というベートーヴェン以来の伝統的図式によっており、マーラーの音楽としては比較的明快で親しみやすいことが挙げられる。とりわけ、ハープと弦楽器による第4楽章アダージェットは、ルキノ・ヴィスコンティ監督による1971年の映画『ベニスに死す』(トーマス・マン原作)で使われ、ブームの火付け役を果たしただけでなく、マーラーの音楽の代名詞的存在ともなっている。 第2番から第4番までの3作が「角笛交響曲」と呼ばれ、声楽入りであるのに対し、第5番、第6番、第7番の3作は声楽を含まない純器楽のための交響曲群となっている。第5番で声楽を廃し、純器楽による音楽展開を追求するなかで、一連の音型を異なる楽器で受け継いで音色を変化させたり、対位法を駆使した多声的な書法が顕著に表れている。このような書法は、音楽の重層的な展開を助長し、多義性を強める要素ともなっており、以降につづく交響曲を含めたマーラーの音楽の特徴となっていく。 また、第5番には同時期に作曲された「少年鼓手」(『少年の魔法の角笛』に基づく)や、リュッケルトの詩に基づく『亡き子をしのぶ歌』、『リュッケルトの詩による5つの歌曲』と相互に共通した動機や曲調が認められ、声楽を含まないとはいえ、マーラーの歌曲との関連は失われていない。さらに第4番以降しばしば指摘される「古典回帰」の傾向についても、後述するようにそれほど単純ではなく、書法同様の多義性をはらんでいる。 演奏時間約70分。 == 作曲の経緯 == === ウィーン・フィル辞任 === 1901年2月17日に自作『嘆きの歌』を初演したマーラーは、その一週間後、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を終えた直後に痔による出血を起こした。4月にはウィーン・フィルを辞任する。 この辞任は、マーラーがベートーヴェンやシューマンの交響曲などを編曲して上演したり、自作やリヒャルト・シュトラウス、ブルックナーの作品をプログラムに組んだりしたことが、ウィーンの保守的な批評家・聴衆から非難されたことによる。批評家からは「音楽の狂人」、「ユダヤの猿」など耐え難い批判を浴び、移り気な聴衆は代役指揮者を支持することなどがあったとされる。同時に、マーラーが専制君主的に接した楽団員ともトラブルが発生した。 しかし、ウィーン宮廷歌劇場の職は維持しており、ブルーノ・ワルターやレオ・スレザークらを同歌劇場に登用、自身の理想とする舞台づくりに邁進する。ウィーン・フィルとの関係自体も継続され、1902年3月にマーラーの妹ユスティーネはウィーン・フィルのコンサートマスター、アルノルト・ロゼと結婚している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「交響曲第5番 (マーラー)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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